シン・ゴジラを見た。面白かった。面白かったので2度見した。
私が映画館で2度見した映画は他に「永遠のゼロ」しかない。
ここからは超絶ネタバレなのでネタバレが嫌いな人は読んではいけない。
見る人によって面白いと思うポイントは違うと思うが,私は法律の適用関係について興味を持ったのでちょっと深く調べてみた。
まず,ゴジラを撃退するために自衛隊を出動させなければならない。
では,その根拠法律はどうなっているのか。
自衛隊法第六章「自衛隊の行動」は自衛隊が出動できる場合を規定している。
例えば,防衛出動。
(防衛出動)
第七十六条 内閣総理大臣は、次に掲げる事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。この場合においては、武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律 (平成十五年法律第七十九号)第九条 の定めるところにより、国会の承認を得なければならない。
一 我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至つた事態
二 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態
ちなみに二号に書かれているのがいわゆる集団的自衛権である。
ここで問題になるのが,ゴジラが「外部からの武力攻撃」に当たるか,ということである。
「外部からの武力攻撃」というのは普通に考えれば外国の軍隊が武器をもって日本を攻撃した場合を指すだろう。
しかし,ゴジラは単なる一生物だから,それが何をしようと「外部からの武力攻撃」には該当しないだろう。映画の中でもそのような判断をしているセリフがある。
では,他の条文ではどうか。
例えば,災害派遣。
(災害派遣)
第八十三条 都道府県知事その他政令で定める者は、天災地変その他の災害に際して、人命又は財産の保護のため必要があると認める場合には、部隊等の派遣を防衛大臣又はその指定する者に要請することができる。
ゴジラが自然災害の一種であることは誰も争わないだろう。だからこの災害派遣なら自衛隊を出動させることができそうである。
だが,大きな問題がある。それは,災害派遣は武力行使ができないこと。
(防衛出動時の武力行使)
第八十八条 第七十六条第一項の規定により出動を命ぜられた自衛隊は、わが国を防衛するため、必要な武力を行使することができる。
2 前項の武力行使に際しては、国際の法規及び慣例によるべき場合にあつてはこれを遵守し、かつ、事態に応じ合理的に必要と判断される限度をこえてはならないものとする。
第七十六条第一項とは防衛出動のことである。自衛隊が武力行使できるのは,自衛隊法上,防衛出動だけなのである。
なお,治安出動(自衛隊法第七十八条第一項又は第八十一条第二項)の場合は,「武器の使用」が認められているが(同法八十九条,九十条),「武力の行使」が認められているわけではない。「武器の使用」だと治安維持のために発砲するとかそれくらいしかできないのだと思う。
つまり,ゴジラにミサイルや大砲をぶっ放したいと思ったら,「防衛出動」しかないのだろう。
結局,映画の中では,「超法規的措置」として戦後初の防衛出動を決定し,かつ,事前の国会承認も事後に回していた。
法的に見ると明文にない国家緊急権を行使したと言えるかもしれない。
国家緊急権を明文に定めておくべきか否かについては争いがある。明文が無くても行使できるという考え方も有力である。
例えばこの本の著者である橋爪さんは,明文に無くとも国家緊急権を行使してもよい場合があると主張している。
防衛出動と同時に,もう一つ決定されたものがある。災害対策基本法に定める災害緊急事態の布告である。
(災害緊急事態の布告)
第百五条 非常災害が発生し、かつ、当該災害が国の経済及び公共の福祉に重大な影響を及ぼすべき異常かつ激甚なものである場合において、当該災害に係る災害応急対策を推進し、国の経済の秩序を維持し、その他当該災害に係る重要な課題に対応するため特別の必要があると認めるときは、内閣総理大臣は、閣議にかけて、関係地域の全部又は一部について災害緊急事態の布告を発することができる。
これで何か変わるかというと,同法百九条の緊急措置が執れるというところが大きいと思う。
第百九条 災害緊急事態に際し国の経済の秩序を維持し、及び公共の福祉を確保するため緊急の必要がある場合において、国会が閉会中又は衆議院が解散中であり、かつ、臨時会の召集を決定し、又は参議院の緊急集会を求めてその措置をまついとまがないときは、内閣は、次の各号に掲げる事項について必要な措置をとるため、政令を制定することができる。
一 その供給が特に不足している生活必需物資の配給又は譲渡若しくは引渡しの制限若しくは禁止
二 災害応急対策若しくは災害復旧又は国民生活の安定のため必要な物の価格又は役務その他の給付の対価の最高額の決定
三 金銭債務の支払(賃金、災害補償の給付金その他の労働関係に基づく金銭債務の支払及びその支払のためにする銀行その他の金融機関の預金等の支払を除く。)の延期及び権利の保存期間の延長
国会の措置を待つことができない場合に限るが,内閣が物資の統制や債務の支払延長等について政令を定めることができる点が大きなポイント。
また,内閣総理大臣が国民の協力を求めることができるということも書いてある。
(国民への協力の要求)
第百八条の三 内閣総理大臣は、第百五条の規定による災害緊急事態の布告があつたときは、国民に対し、必要な範囲において、国民生活との関連性が高い物資又は国民経済上重要な物資をみだりに購入しないことその他の必要な協力を求めることができる。
2 国民は、前項の規定により協力を求められたときは、これに応ずるよう努めなければならない。
ただ,国民は協力を求められてもこれに応じる「義務」までは無い。あくまで応じるよう努力してねと書いてあるだけである。
つまり,国民の意思に反して強制的に協力させることまではできない。
無人新幹線爆弾とか無人在来線爆弾とかゴジラ周辺の超高層ビルの爆破とかはこの条文を根拠に国民に協力を求めて同意を得て実現したことになるのかな?
ただ,新幹線や在来線の車両はJR東海やらJR東日本から同意を得られれば良いであろうが,超高層ビルについては一筋縄ではいかない。
超高層ビルは権利者の塊である。所有者の他,賃借人がたくさんいる。賃借人が使用している物の中にはリース会社の所有物もたくさんあるだろう。
これらの権利者全てから同意を得てビルを破壊するのは不可能じゃないか。だからきっとあれは同意を得ずにやったのだということになると思う。
これを超法規的措置としてやったのか,あるいは,作中でたくさん制定されていることが示唆されているゴジラ関連法案の中でできるようにしておいたのか。後者と考えるべきかな?
ゴジラが東京駅付近で停止してからヤシオリ作戦を実施するまでは確か2~3週間ぐらい(ここらへんの記憶はあいまい)はあったかと思うので,作戦に備えた法令を整備するのは不可能では無いと思う。多分。。。
ちなみに現行法でも国民の同意を得ずに何かできる条文はある。
例えば災害対策基本法の応急公用負担。
(応急公用負担等)
第六十四条 市町村長は、当該市町村の地域に係る災害が発生し、又はまさに発生しようとしている場合において、応急措置を実施するため緊急の必要があると認めるときは、政令で定めるところにより、当該市町村の区域内の他人の土地、建物その他の工作物を一時使用し、又は土石、竹木その他の物件を使用し、若しくは収用することができる。
2 市町村長は、当該市町村の地域に係る災害が発生し、又はまさに発生しようとしている場合において、応急措置を実施するため緊急の必要があると認めるときは、現場の災害を受けた工作物又は物件で当該応急措置の実施の支障となるもの(以下この条において「工作物等」という。)の除去その他必要な措置をとることができる。この場合において、工作物等を除去したときは、市町村長は、当該工作物等を保管しなければならない。※3項以降は省略。
これをヤシオリ作戦に適用できるかというとできないだろう。まず軍事作戦を「応急措置」と解釈するのは無理だと思う。
この条文は地震が起きた時等に,ちょっと建物を借りて被災者の治療をしたり,救助のために瓦礫を除去できるようにするためにあるものなのだろう。だから場面が違い過ぎる。
ちなみに・・・自民党憲法改正草案における緊急事態宣言が発せられた場合,ヤシオリ作戦は問題無く実施可能であると思われる。それは下記の条文があるから。
緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。
つまり,緊急事態宣言が発せられた場合,国民にはヤシオリ作戦に従う義務があるということである。
なお,「最大限の尊重を要する」として例示されている権利の中に,財産権(二十九条)は含まれていない。例示されている権利に比べると,財産権は一段重要性が下がるということなのだろう。
この条文があると,作戦を実施する国は国民の財産権の保護をあんまり気にしなくてもよいと言える。勝手に無人新幹線爆弾や無人在来線爆弾を使い,ビルを爆破しても問題無いということになるだろう。
それにしてもヤシオリ作戦開始時の新幹線が突っ込むシーンで流れた音楽は勇壮だった。私はあそこで一番テンションが上がった。
「宇宙大戦争」という曲名らしい。どこかで聞いたことがある。昭和感溢るる名曲である。
ところで,ゴジラは凍結して止まっただけである。
まだ終わってはいない,ということだ。いつ動きだすか分からない。
この映画を見て,私だけでは無く,多くの人が福島第一原発事故を思い浮かべただろう。
映画の中でゴジラに立ち向かっていった人達と同じように,命を賭して事故の収拾にあたった方々がたくさんいた。いや「いた」ではない。今も収拾に当たっている。
現実の方が厳しい。
事故収拾に向けて闘い続けている方々がいて,その方々1人1人にかけがえのない人生があり,家族がいる。その上に自分たちの生活は成り立っていることを忘れてはいけないと感じた次第である。