「君の名は。」という映画がヒットしているそうである。
kiminonawa・・・・
君の縄。。。。。
というわけで,縄の話をしたいと思う。
縄と言えば岡口基一裁判官である。
以前,岡口裁判官が縄で縛られている上半身裸の写真をツイッターに投稿したことが話題になった。
その問題のツイートがこちらである。
大阪に住んでた頃,行きつけの飲み屋に,午前3時頃になると,隣のSMバーの女王様が店を閉めて飲みに来るんだよね。せっかくだからってことで俺が実験台になって縛ってもらいました(^_^)
— 岡口基一 (@okaguchik) 2016年3月11日
その後は,酒はストローで(^_^) pic.twitter.com/CEmiuN7p2Y
裁判官らしからぬマッチョボディ。この大胸筋をもってすれば,大胸筋をピクピクさせてモールス信号を打つことも可能であろう。そしてそれを締め付ける縄。
これを見た戸倉三郎東京高裁長官より,岡口裁判官は厳重注意を受けた。
そして,それがテレビでも取り上げられた。
注意を受けたツイートはもう一つあるがそれについては省略。
これを「裁判官なのにけしからん」と受け止める陣営と,「別にいいじゃん。犯罪でもないし」等と擁護する陣営に分かれていたように思う。
私はどう受け止めたか。
この写真はアートだと思った。
「縛られたオッサンの写真のどこに芸術性があるんだよ」と一瞬思われたかもしれないが,この写真から発せられるメッセージをよく考えれば納得していただけるだろう。
裁判官は一般人と比べて自由な人達かというと・・・。皆さんのイメージはどうだろうか。あまり自由な人達ではない気がしないだろうか。
この件だって,普通の会社に勤務するオッサンだったらニュースにならないのに,こんな大きなニュースになってしまった。
世間が「裁判官は生真面目で,こんなことするわけないし,してはいけない」と思っているからであろう。そして裁判官達自身もそのような認識を持っているのではないかと思う。だから,私生活でも裁判官達はあんまり目立たないようにしているのではないか。
上の意向ばかり気にしているという意味で「ヒラメ裁判官」という言葉もあるくらいだし。
ツイッターやフェイスブックで言いたいことを言ったり変な写真をアップするなんてことをしている裁判官は岡口裁判官以外にいないと思う。
つまり・・・裁判官達は縛られているのである。精神的な縄に。
しかし,岡口裁判官はどうだろう。ツイッターでもフェイスブックでも言いたいことを言っている。ネタ的なものもあるが,勉強になるものも非常に多い。
そしてブリーフ一丁の写真等,肉体美を見せつける写真を多々投稿している。
つまり,縛られていない。精神的な縄に。
縛られていないからこそ,あんな写真をアップできるのだ。
すなわち,あの写真は「縛られている自分」を写すことで「縛られていない自分」を表現しているのである。
あの写真に込められた真意は,表向きのこととは真逆のことなのだ。
アートっ・・・!
圧倒的アートっ・・・!
縛られているのに,縛られていないという矛盾ッッ!!
この,「表向きのこととは真逆のこと」を伝えるというテクニックは,別の場面でも披露されている。
国民の皆様へ
— 岡口基一 (@okaguchik) 2016年6月21日
さて,私こと,本日,ツイッターに不適切なつぶやきをしたということで,所属庁の長官から正式な口頭注意処分を受けました。https://t.co/OYfgREOSUWhttps://t.co/Q1BdvV5b4X pic.twitter.com/nIDoueYQti
一見,不適切なツイートについて謝罪しているように見える。
だが,その問題となったツイートのリンクを貼っているのがミソである。
こうやってリンクを貼られたら,見てしまうではないか。
見てしまった人は拡散してしまうではないか。
戸倉三郎東京高裁長官がけしからんと判断したツイートが再度拡散してしまうではないか。
そして,案の定大拡散した。テレビで取り上げられるほどに。
「火を消します」と言って灯油をかけるような行為である。
そして・・・まだ削除されていない。
一見謝罪しているようで,謝罪していないようにも受け取れる。
本当に高裁長官の意に沿うようにするのであれば,アカウントを削除するのが一番だろう。
しかし,アカウント削除どころか,問題となるツイートを拡散させる仕掛けを施した。一見謝罪しているように見せかけて。
そして,岡口裁判官のツイッターのホーム画面を見れば分かるが,未だにブリーフ一丁の写真のままだ。騒動の前後で全くブレていない。
見事である。痛快である。
この「表向きのこととは真逆のメッセージを込める」という手法をオカグチズムとでも名付けようか。
正面切って反発すれば角が立つ。しかし,オカグチズムの手法を使えば相手も文句は言えない。表向きは相手の意に沿っているように見えるのだから。
器の小さな権力者に対抗するための効果的な手段と言えるかもしれない。
昨今萎縮しまくっているように見えるマスコミの方々に是非見習って欲しいものである。
ところで,あの写真を見て批判したくなる人は「裁判官はこうあるべき」というようなステレオタイプなイメージを自分の中に持っていないだろうか。
そのイメージに縛られているから,批判したくなるのである。
縛られている。。。つまり,あの写真は見る者の縄をあぶり出すのだ。
自分が作り出した縄に縛られている。だから批判したくなる。
正にそれは「君の縄。」
「縛られているのは私ではなくてあなたじゃないですか?」
あの写真はそう問いかけているようにも見ようによっては見えるのである。
ところで,何故岡口裁判官は実名でツイッターをしているのか。
こんなツイートがある。
どうして匿名でツイートしないのですか?また、実名でツイートすることでどんな見返りを求めていますか? — 元々は,あまりにも萎縮しまくっている若手裁判官達に対し,もっと自由になっても大丈夫なんだよ。もっともっと市民的自由を謳歌... http://t.co/zC88rkwlag
— 岡口基一 (@okaguchik) 2015年4月5日
途中で切れていて,続きが書いてあったであろうリンク先も今は見ることができない状態だが,「萎縮しまくっている若手裁判官達に対しもっと市民的自由を謳歌していいのだよ」と言うために実名でツイートしている,と読めるだろう。
実にカッコイイと思う。
ちなみに岡口裁判官は「要件事実マニュアル」という本を書いていて,これは法曹実務家必携といって良い名著である。
このような名著を書いている上に,面白いツイートやフェイスブックの投稿をしているので,彼は業界ではとても人気のある裁判官である。
ただの露出狂ではない。
縛られていないが故に投稿できた縛られた写真。
これを見て,自分を縛る精神的な縄に思いをはせてみるのも一興ではないだろうか。
↓話は変わりますが最近本を出しました。