経済評論家(らしい)の上念司氏が,実質賃金指数を全く理解していなかったことを暴露したこの記事はたいへんヒットした。
実質賃金指数6000という,あり得ない計算結果を出していたことにより,私の脳内で彼の異名は「ミスター6000」になった。
ところで,彼が何か私に対する反論めいたことを書いているのを見つけた。
「なんの反論にもなってなかった」って・・・反論ていうか,あなたがそもそも指数の概念も,実質賃金指数の算定式も分かってない,超論外の人っていうことを指摘しただけなんだが。。
例えて言うと,全裸で歩いているのを見かけて「いやいやいや,あなた全裸ですよ。まず服を着なさい。」とツッコミを入れただけだよ。反論でもなんでもなく当たり前のことを言っただけ。
で,彼が言いたいのは,要するに賃金の低い新規雇用者が増えることによって,全体の平均賃金が下がり,それが実質賃金の低下をもたらしている,と言いたいようである。
この新規労働者によって平均値が下がるという効果を「ニューカマー効果」と名付けよう。
拙著「アベノミクスによろしく」を読んだ方や,私のブログを読んでいる方ならよく分かると思うが,ニューカマー効果で実質賃金が下がったという主張に対する反論はとっくに書いてある。見飽きた屁理屈である。
まず,上念氏がネット界に大恥を晒すことになった問題の計算表を見てみよう。
改めていうと,実質賃金指数=名目賃金指数÷消費者物価指数×100
つまり,物価の上昇が名目賃金の上昇を上回ると,実質賃金が下がる。
ここが重要なポイントなのでよく覚えておいてほしい。
で,ここでいう指数とは,「ある時点の基準数値を100とした数」のこと。
上念氏の表を見ると,「名目賃金指数」列に,「30」と書いてあり,これは明白に「30万円」を意味するので,指数ではなく,実数。まずこの点が論外。
で,計算結果を見てみよう。新規労働者が参入したことにより,3年目の名目賃金が1年目より下がっている。
つまり「賃金の低い労働者が新しく入って,名目賃金が下がった」と言いたいようである。そしてそれが実質賃金の低下につながっていると。
要するに名目賃金の平均値が下がったから実質賃金が下がったと言っている。
では,現実の数値において名目賃金は下がっているのか,見てみよう。
アベノミクス前との比較が重要なので,2012年=100とする指数に算出し直して見てみよう。
(なお,この数値は統計不正発覚を受けて修正した後の数字。現在のところ2012年からの修正分しか公表されていない。)
御覧のとおり,名目賃金(青)は,2013年にちょっと下がり,あとはずっと上昇している。少なくとも下がっていない。
いかに上念氏が現実の数字を見ていないかが分かるだろう。
つまり「名目賃金の平均値が下がったから実質賃金が下がった」というのはデマ。
なお,ついでに指摘しておく。2018年の名目賃金が大きく伸びているのはインチキである。詳しくは下記の記事を参照していただきたい。
これは「3分の1しか抽出してなかった」という不正とは別次元の問題なので絶対に混同してはいけない。バカなのかわざとなのか知らないが安倍応援団が必死で混同させようとするので絶対に引っかからないこと。
要するに,2018年の名目賃金の伸びは,ちょっと背の高い別人に入れ替えて,シークレットブーツを履かせ,前年と比較し「背が伸びた!」と言っているようなもの。だが,こんなに卑怯な手を使っても結局実質賃金はほぼ横ばい。
話を戻す。実質賃金が大きく下がり,未だにアベノミクス前の水準に遠く及ばない(2018年は2012年より3.6%も低い)のは,物価が急上昇したから。
先ほどのグラフのオレンジの線をもう一度よく見てほしい。
ニューカマー効果を強調する輩はこの「物価が急上昇した」という点に全く触れない。
上念氏の表を見ても,物価上昇率が0.5%~0.7%とされており,現実の数字を全然見ていないことが露骨に分かってしまう。
物価が上がったのは,消費税の増税に円安インフレを被せたからである。
2015年までの間に,物価は4.8ポイント増えている。
日銀の試算によると,3%の増税による物価押上げ効果は2%と言われている。
したがって,4.8ポイントのうち,2.8ポイントは増税以外の要因とみてよいだろう。
その要因は円安以外に考えられない。円安は輸入物価の上昇をもたらすので,物価を押し上げる。
見てのとおり,アベノミクス前は1ドル80円程度だったものが,2015年に120円を超すレベルになり,ピークを迎えた。
その後,2016年にいったん円高になったので,2016年は前年に比べ物価が0.1ポイント落ちている。
そして,2017年からまた上昇に転じた。これは,また円安になったことに加え,原油価格が影響している。
原油は燃料だけではなく様々な商品の原材料にもなるので,その動向は物価に大きく影響する。
見てのとおり,2015年に原油は暴落した。これが円安による物価上昇をある程度相殺してくれたおかげで,2015年は1ポイントの物価上昇で済んだのである。この原油下落傾向は2016年も続いた。
ところが,2017年と2018年はだんだん原油価格が元に戻ってきたので,円安インフレに対する相殺効果が薄れ,物価がまた上がり始めたのである。なお,2018年の年末にまたぼこんと落ちているので,2019年の物価上昇は抑えこまれるかもしれない。
ここで注意すべきは,上昇したと言っても,2015年の暴落前の水準にはほど遠いということ。
すなわち,アベノミクス開始時の原油価格水準がそのままずっと維持されていたら,円安による物価上昇はこんなものでは済まなかったはずである。
で,なぜ円安になったかと言えば,日銀が異次元の金融緩和(アベノミクス第1の矢)を行ったことを受けて,投資家が「円が安くなる」と予想し,円売りに動いたから。
つまり,「増税とアベノミクス」によって無理やり物価を上げる一方,賃金の伸びがそれに全然追い付かないから,実質賃金が大きく落ちているのである。
ニューカマー効果を強調する輩は,平均値のことばかり言って,この「物価が急激に上がってしまった」点に全く触れない。
再掲するが,実質賃金指数=名目賃金指数÷消費者物価指数×100である。
つまり,実質賃金の話をするなら「物価」に触れなければならない。この点が全然分かっていない。
日銀がいつまでも物価目標を達成できないので,多くの人が「物価が上がっていない」と勘違いしている。
日銀の目標は「前年比2%の物価上昇」つまり毎年2%ずつ物価を上げていくこと。
「アベノミクス開始時点から2%」ではない。さらに,この物価目標は増税の影響を除くとされている。
アベノミクス開始時から,増税の影響も含めると,2018年の時点で6.6%も物価は上がっている。
その間,名目賃金は2018年に超絶インチキをしたのにもかかわらず開始前と比較して2.8%しか上がっていない。
このように,物価上昇が名目賃金の上昇を大きく上回ってしまったので,実質賃金がいつまで経ってもアベノミクス前の水準にすら届かないのだ。
ここで,総務省家計調査について見てみよう。
家計調査はサンプル数の上限が予め決まっている。その上,可処分所得や実収入については二人以上の世帯のうち勤労者世帯を対象にしているので,ニューカマー効果は無いと思われる。現在,2017年分までが公表されている。
まずは収入から税金や保険料を除いた可処分所得の推移から。
こちらもアベノミクス前との比較が重要なので2012=100とする指数で見てみよう。
データ元:総務省統計局
名目可処分所得は2014年に少し落ち込んだ後,上昇に転じているが,物価の上昇が大きく上回っているので,結局2017年時点での実質可処分所得はアベノミクス前を3ポイント下回っている。
次に,税金や社会保険料も含めた実収入について見てみよう。
データ元:総務省統計局
当然だがこちらも傾向は同じ。税金や社会保険料でお金を取られなかったとしてもなおアベノミクス前の水準より2.3ポイント低い。
このように,実質賃金で見ても,またニューカマー効果が無いと思われる実質可処分所得や実質実収入で見ても,アベノミクス前の水準を下回る。
これは,増税とアベノミクス(円安)で無理やり物価を上げる一方,賃金がそれに全然追い付かないから。
そして,この急激な物価上昇がエンゲル係数(家族の総支出のうち、食物のための支出が占める割合。係数が高いほど生活水準は低い)の急上昇にもつながっている。
データ元:総務省統計局
食料価格指数はアベノミクス前と比べると2018年の時点で10.3ポイントも上がっている。増税が全て食料価格に転化されて3ポイント寄与したとしても,7.3ポイント残るが,その最も大きな要因は円安である。
この点について「天候不順で野菜が高騰したせいだ!」とか言い出す輩が出てくるが,2014年あたりから日本は毎年異常気象に襲われ続けているのだろうか。んなわけない。
なお上念氏は高齢化が影響したなどと言っているが,それだと2014年あたりから急に高齢化が進行したことになる。こちらもそんなわけないだろう。
増税と円安の影響で食料価格が上昇した一方で,賃金が上がらないため,エンゲル係数が急上昇したのである。
で,重要なのは実質賃金の低下により何が起きたか,である。
日本のGDPの約6割を占める実質民間最終消費支出(要するに国内消費の合計)が,とんでもない停滞を引き起こしている。
リフレ派はこの実質消費の停滞に絶対触れない。
データ元:内閣府
見てのとおり,2014年~2016年にかけて,3年連続で落ちている。これは戦後初の現象。
2017年はプラスに転じたが,4年も前の2013年より下。この「4年前より下回る」という現象も戦後初。
実質賃金,実質可処分所得,実質実収入が減り,その影響で実質消費は停滞し,アベノミクス前より上がったのはエンゲル係数。
断言しよう。我々はアベノミクス前より確実に苦しい生活を強いられている。
これほど国内消費が停滞しているのだから,名目賃金が伸びないのも当たり前。国内消費に頼る企業は儲かっていないのだから。
円安による為替効果で輸出大企業は儲かるだろうが,それ以外の企業は特に恩恵を受けない。むしろ,原材料費の高騰などで,相当苦しい状況に立たされている企業は多いだろう。
さらに,この数字ですら思いっきりかさ上げされた結果なのである。
2016年12月にGDPは改定されたが,改訂前後の名目民間最終消費支出の差額を示したのがこのグラフ。
データ元:内閣府
御覧のとおり,アベノミクス以降が突出している。
特に2015年が異常。8.2兆円ものかさ上げ。
なお,名目民間最終消費支出におけるかさ上げは,国際的GDP算出基準(2008SNA)とは全く関係ない「その他」という部分でなされている。
アベノミクス以降は大きくかさ上げしているのに,なぜか90年代は全部マイナス。
この「その他」によるかさ上げ・かさ下げ現象を「ソノタノミクス」という。
こんなに数値をかさ上げしても,なお実質消費の低迷を覆い隠すことができていない。
先ほどのグラフのとおり,2015年の実質民間最終消費支出は2014年を下回った。さらに,2016年はその2015年をも下回った。
なお,改定前はもっと悲惨。2015年の数字がアベノミクス前(2012年)より下だったのだから。
さて,話を上念氏の表に戻そう。
この表は他にもおかしな点がある。
それは,登場人物が4人しかいないため,ニューカマー効果が大きくなりすぎること。
具体的に表にしてみよう。
上念氏の試算表だと,労働者の増加率が2年目は50%,3年目は33%。
では,現実はどうだろう。アベノミクス前の2012年を起点とした毎年の雇用者増加率を見てみよう(単位は万人)。
御覧のとおり,最も増えた年でもせいぜい2%。
2018年と2012年を比較して増加率を出しても7%である。
現実の新規労働者の既存労働者に対する比率はこの程度。
つまり,上念氏の試算だと,新規労働者の既存労働者に対する比率が大きすぎるので,ニューカマー効果が過大に現れてしまう。
こんな試算に意味は無い。
上念氏の試算表についておかしい点をまとめてみよう。
1.そもそも指数になってない。
2.実質賃金指数の算出方法が間違い(なぜか実数を物価上昇率で割っている)
4.現実の物価動向を無視(増税と円安で物価が急上昇した点を無視)
5.現実の労働者増加率を無視(このためニューカマー効果が過大に現れる)
こんなに現実を無視した試算表など無意味である。
ただ自分の結論に都合の良い極めて非現実的な数字を並べただけ。
必要なのは現実のデータをダウンロードして分析すること。
だが,おそらく上念氏はそのような分析すらしたことが無いと思われる。
していたら「実質賃金指数6000」なんて間違いは絶対にしない。
どこにどんなデータがあるのかも把握していないだろう。
だいたい,彼の説が正しければ新規雇用者が増え続ける限りいつまでたっても実質賃金が上昇しないことになりかねない。そんな馬鹿な話があるわけない。
ここで,高度経済成長期の賃金と物価の動向を見てみよう。なお,総合的な賃金指数が無いので代表的な産業である製造業で見てみる(1954年=100とする指数)。
見てのとおり,名目賃金が圧倒的な伸びを示し,それが物価を引っ張り上げている。物価は開始時と比べると2倍以上になっているが,名目賃金は7倍以上。
このように名目賃金の伸びが物価上昇を遥かに上回るので,実質賃金も順調に伸び,開始時と比べると3倍以上になっている。
これが本物の経済成長だ。
先に賃金が伸び,それが物価を引っ張り上げる。だから実質賃金も上がり,庶民も経済成長を実感できるのだ。
これとアベノミクスは真逆。物価だけ上がってしまい,名目賃金は全然追い付かない。実質賃金は墜落する。未だに開始前の水準にすら戻らない。
景気回復の実感が無いのは当たり前。
さて,ついでに安倍総理が喧伝している総雇用者所得についてもツッコミを入れておく。
要するに,1人当たりの実質賃金は減っているが,総額なら増えているというのである。
これは確かにそのとおりで,雇用者数が増えているから。
だが,問題は「それ,アベノミクスのおかげなの?」ということである。
ここで,職種別の増加雇用者数を見てみよう。これは2018年の職種別雇用者数からアベノミクス前である2012年の職種別雇用者数を引いたもの。
データ元:総務省統計局
医療・福祉が2位以下を大きく引き離してぶっちぎりの1位。125万人も増えている。2位と3位を合わせた数よりもなお多い。
これは明らかに高齢者の増大が影響しているので,アベノミクスと無関係。
2位の卸売・小売も,円安によって恩恵を受けるわけではないし,原材料費の高騰や記録的な消費低迷からするとむしろ害を受ける方なのでアベノミクスと無関係。
3位の宿泊業・飲食業について,宿泊は円安による外国人旅行客の増加で恩恵を受けるかもしれないが,飲食は原材料費高騰や消費低迷の影響を大きく受けるので,アベノミクスとは無関係。
4位の製造業はアベノミクスの影響といってよい。
5位以下は基本的に国内需要に頼るものばかりなのでこれもアベノミクスとは無関係。
アベノミクスがしたことは,要するに「円の価値を落とした」だけである。これと因果関係が無ければ「アベノミクスのおかげで雇用が増えた」とは言えない。
そして,このように,「増えた雇用の内訳」を見ると,アベノミクスと全然関係ないことが良く分かるのである。リフレ派はこの雇用の内訳に絶対触れない。
記録的な消費低迷が無ければむしろもっと増えていたのではないだろうか。
ついでに失業率の低下についても見てみよう。
データ元:総務省統計局
ご覧のとおり,失業率の低下はアベノミクス開始前からとっくに始まっている。
失業率ではなく完全失業者の絶対数についても見てみよう。
データ元:総務省統計局
当たり前だが,同じ傾向である。単に失業者が減ったから,失業率が下がっただけ。
ところで,リフレ派はこれについて,「民主党時代の失業率低下と,アベノミクス後の失業率の低下は質が違う」と言う。
総務省による完全失業者の定義は下記のとおり。
完全失業者 : 次の3つの条件を満たす者
1.仕事がなくて調査週間中に少しも仕事をしなかった(就業者ではない。)。
2.仕事があればすぐ就くことができる。
3.調査週間中に,仕事を探す活動や事業を始める準備をしていた(過去の求職活動の結果を待っている場合を含む。)。
上の3つに全部当てはまらないと完全失業者ではない。
そして,リフレ派は「民主党時代は職を探すことすら諦めた人が増えたので完全失業者が減り,失業率が下がっただけ」と言うのである。
もう,想像力が豊かですねとしか言いようがない。
確かに就業者数(雇用者に加え自営業者等も含む)も雇用者数もは2013年から増え始めたが,さっきも指摘したとおり増えた内訳(なお,就業者で見ても傾向はだいたい同じ)を見ると全然アベノミクスの引き起こした円安と関係ない業種ばかり。
たまたま増加のタイミングが一致しただけのものをアベノミクスの成果にしているだけ。
「俺が雨乞いしたら雨が降った。俺のおかげだ!」と言っているのと同じ。
さらに有効求人倍率についても見てみよう。
データ元:厚生労働省
アベノミクス前から,有効求職者数の減少が始まり,他方で有効求人数が増加し続けているため,有効求人倍率(有効求人数÷有効求職者数)は増加し続けている。
アベノミクス前後で傾向に変化は無い。
まあこれも見てもリフレ派は「民主党時代は求職活動を諦める人が増えただけ」って言うんだろうね。
なお,ついでにどういう年齢層の就業者が増えたのか見てみよう。
このグラフは年齢別の就業者について,2018年の数字から2012年の数字を差し引いて算出したもの。
データ元:総務省統計局
65歳以上の増加が圧倒的。266万人も増えている。年金だけだと生活していけないということなのだろうかね。
我々が老後を迎える頃よりも,今の老後世代の方が恵まれた環境にいると思うが,それでこの状態。あぁ,きっと我々の世代は死ぬまで働くはめになるのだろう。年金支給開始年齢が80歳になってたりして。
さて,上念氏がいかに適当な「経済評論家」であるかがより深く理解できたと思う。
彼もリフレ派の1人であるが,そんなリフレ派の財政楽観論を完全否定しているのが私の新著。
これを読めば今の日本の立ち位置が良く分かるはず。