今,自民党が憲法を改正して国家緊急権(緊急事態条項)の規定を設けようとしているね。
うん。左翼の連中は例のごとくそれに反対しているね。
国家緊急権て,戦争とか大災害とかの非常事態に備えて設定するものだよね。
そうだ。その内容としては,戦争や災害等の非常事態において,憲法秩序をいったん停止して,人権を制限したり,または特定の機関に大きな権限を与えることができるようになる。
非常事態にみんなが好き勝手に行動したら困るから,人権を制限されるのは仕方ないんじゃないの。
特定の人に力を集中させて,非常事態を乗り切ろうとするのは必要だと思うけどな。
確かにそのとおりだ。みんなが自由にバラバラに行動したら非常事態を乗り切ることはできないだろう。
そうでしょ。むしろ今憲法に規定が無いことがおかしいと思うよ。何で反対する人がいるのか分からないよ。
自民党が嫌いだから反対してるだけじゃないの。
それは,国家緊急権が悪用された歴史があるからだろうね。
例えば,ドイツのヒトラーが実例だ。
彼は国家緊急権を悪用して独裁体制を築いたからね。
実は圧倒的な人気があったわけでもなく,落ち目だったヒトラー
1933年1月,ヒトラーはヒンデンブルク大統領の首相指名を受け,ヒトラー政権を成立させた。
この政権は,ヒトラー率いるナチスの単独政権ではなく,国家人民党との連立政権だった。
あれ。ヒトラーって凄く人気があったんじゃないの。 最初から単独政権じゃなかったんだね。
実は,圧倒的な人気があったわけではない。ナチスが最初に政権をとったときは,国会第一党だったけど,総議席の3分の1しかもっていなかった。
しかも,ヒトラーが首相に指名される直前の選挙では,その前の選挙よりも得票数を減らしていた。
え?ヒトラーって実は落ち目だったの?
そう。でも,ヒンデンブルク大統領が,保守派にとってヒトラーが有利な人物であると判断して首相に指名したんだ。
大統領が指名しないと首相になれなかったの。
そう。当時のドイツはそういう仕組みだった。
だから,ヒトラーは国民の熱狂的な支持で首相になったというよりは,うまく大統領を活用したと言うべきかもしれないね。
落ち目だったけど,大統領緊急令というチートを最大活用
しかし,そんな落ち目のヒトラーは,政権を取って約1年半後,独裁体制を築きあげることに成功する。
どうやってそんな短時間で独裁までもっていったんだろう。国民の圧倒的支持があるわけでもないのに。
そこで活用されたのが大統領緊急令だ。これは国家緊急権の一種だよ。
ワイマール憲法第48条は次のとおり定めていた。
「ドイツ国内において、公共の安全および秩序に著しい障害が生じ、またはそのおそれがあるときは、共和国大統領は、公共の安全および秩序を回復させるために必要な措置をとることができ、必要な場合には、武装兵力を用いて介入することができる。この目的のために、共和国大統領は一時的に第114条(人身の自由)、第115条(住居の不可侵)、第117条(信書・郵便・電信電話の秘密)、第118条(意見表明の自由)、第123条(集会の権利)、第124条(結社の権利)、および第153条(所有権の保障)に定められている基本権の全部または一部を停止することができる。」
条文だけみると何が問題なのかよくわからないけどねえ。
大統領が「公共の安全および秩序に著しい障害が生じ、またはそのおそれがあるとき」と判断すれば,何でもできることになりはしないかい?
あ。ほんとだ。
実は,ヒトラーが政権を取る以前から,この大統領緊急令は乱発されていた。
議会で政党同士の対立が激しくて,なかなか法律が成立しなかったから,代わりにこの大統領緊急令を使って乗り切っていたんだ。
議会意味ねえじゃん。
そうだ。政党同士でうまく妥協してやっていくことができなかったから,そういう状況になっていった。
ヒトラーが初めて首相になったのは1933年1月だが,そのわずか2ヵ月後にヒトラーは国会を解散して選挙を実施した。
その際,大統領緊急令を利用して「ドイツ国民を防衛するための大統領緊急令」というものを交付した。
これは,集会と言論の自由に制限を加え,政府批判を行う政治組織の集会,デモ,出版活動等を禁止する内容だった。
しかも,ヒトラーはこの緊急令を執行するため,ナチスの組織である突撃隊と親衛隊を政府の補助警察として各地に派遣し,反対派を猛烈に弾圧した。
これによってナチスに反対する勢力は自由な意見表明ができなくなってしまったんだ。
ずるいな。それ。
議事堂炎上令で反対派を超弾圧
そして選挙の終盤,1933年2月27日夜,ベルリンの国会議事堂が炎上するという事件が発生した。
現場にいたオランダ人の共産主義者,マリヌス・ファン・デア・ルッペが逮捕された。
ヒトラーはこれを共産主義による国家転覆の陰謀だと決めつけた。
そして,大統領を動かして「民族と国家の保護のための大統領令」と「ドイツ民族への裏切りと反逆的策動に対する大統領令 」を交付した。
これは「議事堂炎上令」と言われている。
これにより,言論・報道・集会および結社の自由、通信の秘密は制限され、令状によらない逮捕・保護拘禁が可能となった。
これで ナチスに反対する者たちは軒並み逮捕されていった。
また,州政府に介入することも可能になり,ナチスに反対する州におしかけ,反対者を支持者に入れ替えてしまうことが行われた。
国民の間にも「ナチスに反対するとひどい目に遭わされる」という認識が広がった。
この議事堂炎上令の有効期間は「当分の間」とされたが,結局ナチスが崩壊する1945年まで効力は維持された。
超せこいじゃんそれ。全然緊急じゃなくなってるし。
そして1933年3月5日,投票が行われた。ナチスは288議席を獲得した。得票率は43.9%で,単独過半数には達しなかった。
やりたい放題やっても単独過半数は取れなかったんだね。
そう。そこで,国家人民党と連立与党を組んだ。
そして,全権委任法へ
そして,最大の悪夢が訪れる。全権委任法の成立だ。
この法律は政府に無制限の立法権を認めるものだ。憲法を無視した法律の制定が可能になる。
このような憲法改正的な法律を制定するには,議会の3分の2以上の議員が出席し,さらに出席議員の3分の2以上が賛成することが必要だった。
反対する議員が全員欠席すれば出席3分の2の要件は満たせないんじゃないの。
ヒトラーはそれを見越して「予告なく,あるいは議長が認めない事由で欠席する議員の欠席は認めない」という議院運営規則の変更案を議会に予め提出した。
この変更案は通常の法律と同じで議員の過半数で可決することができる。
与党で過半数は占めているから,確実に通るね。
そうだ。変更案は可決され,野党の欠席戦術は封じられた。
あとは出席した議員の3分の2が問題だ。しかし,共産党と社会党の議員は議事堂炎上令でたくさん逮捕されていて,出席できない議員が多かった。
その出席できない議員を差し引くと,与党だけで出席議員の3分の2を獲得できるわけだな。
結局,大統領緊急令を最大限活用して全権委任法を制定したんだね。超ずるいじゃん。
そうだ。この全権委任法の成立によって,ヒトラーは何でもできるようになり,独裁体制が成立した。 彼が初めて政権を取ってからわずか1年半の早業だった。
国民の熱狂的な支持で独裁を確立したというよりは,国家緊急権を悪用して独裁を確立したって感じだね。
でもさあ,それはかつてのドイツの話であってそれがそのまま現代の日本で起きるわけないじゃん。
不安煽ってるだけじゃないの。サヨクみたいだよモノシリン。
じゃあ自民党の憲法改正案を見てみよう。
<続く>